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第3話  

Author: 手本ちゃん
病院に行く途中、貞弘はアクセルを目一杯に踏み込んだ。黒いランドローバーは矢のように街を駆け抜けていく。

「絵ちゃん、寒くないか?エアコンをつけようか?」彼は幸絵が一緒について来るとは思っていなかった。

「どんなことで、そんなに急いでるの?」幸絵は淡々と聞く。

「病院の研修医だ、千尋って子なんだけど、彼女の母親がまた病院に押し掛けてきてな。

家に連れ帰って、地元のチンピラと結婚させようとしてる」

千尋という名前は、ずいぶん前に貞弘から聞いたことがあったが、その度に彼は嫌悪の表情を浮かべていた。

「あの千尋ったら、患者に注射するのに血管も見つけられないんだ。いったい学校で何を学んでたんだか」

「千尋は今日もまた二分遅刻して、その上口答えまでしてきたんだよ。ここまで手に負えない奴も珍しいよ」

「病院は奇抜な服装禁止って決まってるのに、千尋ときたら、毎回黒ストッキングにミニスカートだ。往来の人がみんな彼女をじろじろと見てるのに!」

……

あの時、幸絵は貞弘に「女性にはそんなに厳しくしないで」と注意したものだった。

今思えば、あの時から貞弘はもう彼女に心を動かされていたのだろう。

車は疾風のように走り、すぐに病院に着いた。入口はすでに人だかりができていた。

「絵ちゃん、車から出ないで。俺が中で処理するから」

貞弘は人ごみをかき分けながら中に入ると、千尋は衣服も乱れた状態で地面に座り込んでいた。

一人の男が彼女の腕を掴み、引きずり上げようとしていた。

「彼女に触るな!」貞弘はその男をぐいと押しのけると、自分のジャケットを千尋に掛け、彼女の前に立ちはだかった。顔には曇りがかった表情が浮かんでいる。

「彼女の主任だ。用事があるなら俺に言え」

「主任?俺は彼女の彼氏だ。千尋は俺に600万借りてる。付き合ってた時は金をくれたら結婚するって言いやがって、その金を湯水のように使って、いい男を見つけたってわけか?」やくざ風の男は貞弘をじろりと睨みつけ、冷ややかに笑った。

床に座り込んだ千尋はメイクを崩して泣いており、貞弘を見ると慌ててその胸に飛び込んだ。

「こっちが私の彼氏よ!私の彼氏は私にとっても優しいの!あなたなんて全然知らない!」

「さっき警察を呼ぶって言ってたよな?借用書にはっきりと書いてあるから、ちょうどいい、警察署で筆跡鑑定してもらおうじゃないか」男はそう言うと、借用書を取り出した。

その言葉を聞いて千尋は顔色を失い、貞弘を強く抱きしめ、「あなた、あれ全部母が借りたお金なの、私とは関係ないわ」と目に涙を浮かべながら言った。

「でたらめを言うな!俺には妻がいる!」貞弘は眉をひそめて駐車場の方向を見ると、彼女を押しのけた。

田中圭介(たなか けいすけ)はこの様子を見て笑い出した。

「ほらな、相手は全然お前のことなんか見てないんだよ。さあ俺と帰れ、俺と当分やってないだろう、今晩思う存分楽しませてやる」

この言葉を聞いた貞弘は、まるで所有物を侵犯されたかのように、突然顔に青筋を立て、圭介を地面に押し倒した。

「彼女に指一本でも触れてみろ!」

「お前、妻がいるんだろ?なら俺が彼女をもらうのにお前の知ったことか?」

「彼女は俺の女だ!触れるなら俺の許可を得ろ」

「へえ、愛人かよ。金払えばいいんだな、じゃあ一緒に楽しんでもいいんじゃないか」圭介は悪戯っぽく笑った。

その言葉は貞弘の逆鱗に触れたようだった。そして、ワンパンチで圭介の歯を一本へし折った。

続いてカードを一枚取り出し、男の顔に叩きつけると、「カードに600万入ってる。金を受け取ったらさっさと失せろ、二度とお前の顔を見るんじゃない!」と奥歯を噛みしめて言った。

圭介はようやく去って行った。

女性の小さな体は貞弘の懐に埋もれ、震えながら泣きじゃくっていた。まるで負けを認めない頑固な子猫が、ようやく警戒心を解いたかのようだった。

貞弘の空中に浮いていた手は、最終的に彼女の髪に触れ、優しく撫でながら、「もう大丈夫、俺がついている。もう終わったことだ」と柔らかい声で言った。

二人は人だかりの中心で静かに立ち、あたかも仲睦まじいカップルのようだった。

貞弘の視線が幸絵と合った時、彼はやっと夢から覚めたように千尋を押しのけた。

「絵ちゃん、どうして中に入ってきたんだ?さっきはあんなに混乱していたのに、どこか怪我はないか?」

「ないわ」

「さっきのもの、全部見ていたのか?」貞弘は突然やや後ろめたそうに尋ねた。

幸絵は貞弘の後をついて中に入り、先の一部始終をはっきりと見届けていた。

貞弘はもとより冷たい性格だが、他人の前では幸絵を徹底的に擁護してきた。

しかし、今の行動は公然の不貞行為も同然で、幸絵は周囲から同情の視線を向けられているのを感じ取れた。

心臓はまるで誰かに全力で締め上げられたかのようで、相手はもう手を放したというのに、彼女にはまだ痛みが残っていた。

しかし、幸絵はそのような苦痛を抑え、首を振って、「見てないわ、今入ったばかりよ。千尋の問題は解決したの?」と普段と変わらない様子で言った。

貞弘は安堵の息をついた。

千尋の声は柔らかかったが、その表情には挑発が隠されていなかった。

「奥さんのご心配ありがとうございます。すべて解決しました。川口先生には大変お世話になりました」

「なら、ジャケットを返してくれ」幸絵の視線が自分のかけられているジャケットに落ちるのを見て、貞弘は冷たい表情で言った。

千尋は少し悔しそうだったが、貞弘の拒絶の余地ない眼差しを見て、ゆっくりとジャケットを脱いだ。

胸元は布地が破られ、肌が露わになり、脚の黒ストッキングも引き裂かれてぼろぼろだった。

さらに千尋が意図的に動きを遅らせ、誘うような眼差しを向ける様は、ますます誘惑そのものだった。

貞弘は喉仏をぐっと動かし、「もういい!」と低い声で喝った。

彼はジャケットをひったくるように取り上げ、ゴミ箱に投げ入れた。

「幸絵、お腹空いてない?食事に連れて行こうか」貞弘は千尋の困惑と屈辱を無視し、幸絵に向かって言った。

その言葉が終わらないうちに、貞弘の親友たちが慌ただしく到着した。

「貞弘、お前の女をいじめたクソ野郎はどこだ?」

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